誰かがいるということ

ショッキングだけど他人事でない記事。



我が子に手をかける、鬱になる…
どのお母さんにも可能性はあって、そうなるかならないかは、実際紙一重くらいなんだ思う。
自分に限って、あの人に限って絶対そんなことない、とは言い切れない。


私も、今でこそかなでちゃんの泣き顔が可愛くてたまらないけど、一ヶ月はきつかった。

まだ外にも出られない、出たくても自分も赤ちゃんにもそんな余裕ない。
閉じこもった空間に1日2人きり。
赤ちゃんが何をしたいのか、なんで泣いているのかわからない。
寝ない。泣く。飲めない。
聞いてた話、イメージしてた話と違う。
できないのはわたしだけ?
眠い、体がしんどい、いたい。
家のことができない、ごはんが作れない。
赤ちゃんが吐く、心配、でもその場で相談できるひとがいない。
共有できるひとがいない。

小さな小さなこんなことの積み重ねが、心に溜まっていってしまうんだとおもう。


生後二週間くらいのころ、家族のグループにクロワッサンがどうしても食べたい!とラインした。
クロワッサンはほんとに食べたかったのだけど。

でも後で思い返せば、クロワッサンを届けてくれる親しい誰か、に会いたかったんだと思う。

あと何時間かすれば、ホッとできるひとと言葉を交わせる。
それがどんなに心に余裕を生みだすか、産むまでわからなかったな。

育児アドバイスがほしいわけじゃない、医療診断してほしいんでもない、家事を代わりにやってほしいんでもない。

共有してくれる親しい誰かに、いてほしい。言葉を交わしたい。ただただホッとしたい。
自分で意識していなかったけど、そんな思いは、自分の中にも強く強くあったと思う。
そしてそうすることで、また心に余裕をもって、赤ちゃんに向き合ってあげられる。
自分がホッとできる瞬間を作って、ひと息つくこと。心をゆるめること。思っている以上に、意識している以上に大切なことだ。
というか、その時はいっぱいいっぱいで自分の心がガチガチなことなんて気付けない。意識できない。意識できないから気付いたときにはアップアップ状態になっている。そこが危うい。

拍車をかけるのが、みんな同じ、みんな頑張って乗り越えてるはず、自分だけ出来ないなんて言えない、赤ちゃんと2人きりが嫌だなんて言えない、早く帰ってきてって言いたい、でも周りだっていつも通り仕事頑張ってるんだから、これは自分の役割なんだから、お休み中の自分が産後だからって甘えすぎるわけにはいかない…    そんな思い。

わたしの場合は、周りが、家族がすすんでとても協力してくれたから、本当に本当にありがたかった。それでも一ヶ月の平日はしんどかった。


それから、クロワッサンの件で、母親ってすごい…と思ったことがある。
そのメールをした次の日に、母親がみんなを連れて仕事を早く切り上げて、うちでお好み焼きを作って食べよう!とやって来てくれた。
あれはほんとに、ポロッと、泣けた。
ホッとして泣けたの。うれしくて。安心して。
たまたまなのか、何かを感じ取ってくれたのかわからないけど、母親ってすごい、って後になってつくづく思う。
その後も事あるごとに半休を取ってくれたり、仕事帰りに寄ってくれたり。
おかずを届けてくれる、そのおかずももちろん嬉しかったけど、助けられてる、見守ってくれてる、気にかけてくれてる、その気持ちが何より嬉しかった。

散歩できるようになった最近も、まだこうちゃんが帰ってこない夜の時間に、よくかなでちゃんを連れて実家に行っている。
何気ない会話だったりテレビを見たりすることでも、親しいひとたちと一緒に過ごす時間は元気をくれる。そしてそれは自分のためでも、かなでちゃんのためでもある。
親がいなくても、りんりんと触れ合うだけでもすごくホッとする。
産む前に、平日はりんりんがいるだけだから里帰りしてもしょうがないな…なんて言ってごめんね!
いつも通りのりんちゃんがいてくれるだけで、かなり癒されているよ。


とにかくわたしは、そういう小さなひとつひとつにすごく助けられていたんだと思う。
こうちゃんも、仕事で遅くても毎日ちゃんと帰ってきてくれてた。飲みにも行かず。
それだってとてもとても助けになっていた。家に帰ってきてくれるひとがいる。それはすごく大きな心の支え。


そして、今かなでちゃんと過ごす毎日をとても貴重だと、とても愛しいと思えているのです。


これから先、自分の周りに産んだばかりのお母さんがいたら、助けてもらったように助けていきたいなぁ。
赤ちゃんは、周りのたくさんの協力とあったかい心で、育っていく。もうすぐ三ヶ月を迎えるけれど、ほんとにほんとにそう思う。

こうやって大きくしてもらっていることを、大事に忘れないでいよう。